レオナルド・ダ・ヴィンチの作品であることを証明する術を持ち合わせてはいない彼らは絵を撮影して、その姿かたちをルーヴルに収められたダ・ヴィンチ作品と見比べるなど、手探りで調査を開始した。しかし、素人同然であった彼らの調査が行き詰るのにそう時間はかからなかった。そこで彼らは絵を専門家に分析してもらうことにした。この章では1999年からいくつも発表されてきた、「ラロックの聖母」にまつわる専門家たちの見解を年代を追って記す。
1999年6月 ダ・ヴィンチ研究の大家ダニエル・アラス(故人)
くわしい分析を求めて、3人は絵の写真を添えた手紙を数人の専門家に送った。そのなかの一人であり、イタリア・ルネサンスを専門とする美術史家、ダニエル・アラス氏。「科学的な分析を前提とするものの」という条件つきではあったが、「この絵がダ・ヴィンチ風である」ときわめて前向きな言葉を、手紙を介して3人に伝えた。ダ・ヴィンチ作品かどうか半信半疑であった3人の背中を押した重要な発言。
1999年 夏 世界各国の有名美術館
ダニエル・アラス氏の発言により自信をつけた3人は、絵の写真を世界各国にある有名美術館にあてて送ることにした。ロンドンのナショナルギャラリー、ワシントンのナショナルギャラリー、バチカンミュージアム、ニューヨークのメトロポリタンミュージアム、ハーバード大学、イタリア文化庁などの権威ある機関は、口をそろえてこう述べた。「もっと進んだ分析が必要だが、この絵はダ・ヴィンチスタイルのものである」。その後何人かのダ・ヴィンチ専門家に見てもらったところ、「ダ・ヴィンチの弟子の作品である可能性」が示唆されたが、「ダ・ヴィンチの作品ではない」と言い切るものは誰一人としていなかった。
1999年 末 再度ダニエル・アラス
研究をはじめて約1年。専門家の発言が重なるにつれ、フランスのメディアもこの絵をニュースとして報道し始めるなど、3人の周りはにわかに騒がしくなっていた。そんな折、フランスのドキュメンタリー番組で特集が組まれた。そのなかでダニエル・アラス氏は「1490年から1495年にダ・ヴィンチのアトリエで描かれたものだ」とはっきり述べた。弟子の作品である可能性は残されたものの、公の場でこの絵がダ・ヴィンチ、またはレオナルド派によるものだと発言されたのは、これが最初のことであった。
2005年 ダ・ヴィンチの大家カルロ・ペドレッティ
この年、はじめて絵がダ・ヴィンチの一番弟子、GIAM PIETORINOによるものだという見解が発表された。発言したのはダ・ヴィンチ関連の書物を150冊以上も執筆している専門家カルロ・ペドレッティ氏。これにより弟子の作品である可能性がクローズアップされたが、状況はすぐに一転する。弟子の作品であると示唆した本人、カルロ・ペドレッティ氏が、ダ・ヴィンチ博物館の館長であり、ダ・ヴィンチ作品における権威者であるアレッサンドロ・ヴェッツォーシィ氏とともに、「これは弟子の作品ではなくメートルのものだ」との意見を述べたのだ。メートルとはイタリア語でマエストロ、日本語で先生との意味を持つ。これが真実であれば美術史が大きく塗り替えられるのは間違いない。